罵州雑言

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その181 水の申し子


 

魚釣りって、そこに魚がいてその魚を釣るだけのことではないと思う。

そこに魚がいることによって成立するのが魚釣りなんだ。

つまり、魚がいないと魚釣りなんてぇのは成り立たないってわけよ。

 

だからこそ、この魚のいる環境を守ったり、

魚が増えるように手助けすることが大切なんだな。

魚釣りの出来る環境、魚の棲める環境作りに携わることこそが、

真の魚釣りだと思うわけだ。

 

そのために水辺の清掃活動をしたり、

子どもたちに釣りの指導をしたりして、

魚釣りを次の世代に残すために頑張っているんだな。

いや、いや、誰彼のためではないよ。

自分自身のためだ。

 

もっとカッコ良く言うと家族のためだ。

さらに大袈裟に言うと、祖国のためである。

 

釣りをしない人は水辺には無関心である、

が、生態系や生物多様性には敏感だ。

何故だろう……恐らくは暇なんだな。

 

その一方で、俺たち釣り人は水辺に無関心ではいられない。

今日は釣れなかったけれど、明日は釣れるだろう。

水温も下がっているし、濁りも消え始めているなどと、

水の状況ばかりを気にしているからだ。

 

必然的に水辺に散乱しているゴミを見る羽目になる。

「なんでこんなゴミが水辺にあるんだ!」と憤りを覚えるようになる。

この怒りや憤り、不満が水辺のゴミを拾う力の源になる。

 

誰も手を付けないけれど、俺たち釣り人は水の申し子だ。

だから、水辺をきれいに保つための活動をする。

明日また、魚たちとの勝負がしたいから。

 

 

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