罵州雑言

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その182 ロングジャーニー


 

水辺のゴミ拾いは地球を何周もするほどの長い旅だ。

このロングジャーニーの果てに、どんな喜びが待っているのだろうか?

それは誰も知る術がない・・・そう限りないからである。

 

が、誰も知ることができなくても、俺たちはゴミを拾い続ける。

拾っていれば必ずなくなるものだからである。

ゴミ拾いは家族のため、友のため、バスのため、

しいては日本のためになると信じているから続けられるのである。

 

そんな活動を20数年も続けているが、ゴミは一向になくならない。

少なくはなっているが、なくならないのである。

それは、長い期間に渡って、水辺のゴミが放置されていたのかを物語っている。

 

 

 

高度成長時代に端を発した「消費は美徳」の流行語を引き金に、

プラスチックなどの石油化学製品の登場によって、

人々の便利さの追求、使い捨てがゴミ増量に追い打ちをかけた。

1960年代当時の日本人は、ゴミ拾いなんざぁしなかったんだ。

国の施策をする人たちの無知無能によるものだな。

 

 

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で、俺たちが霞ヶ浦の清掃活動をスタートさせた1995年当時は、

そりゃぁもう酷いゴミの量で、湖岸はゴミ溜め状態だった。

それまでに周辺は様々な団体が清掃活動を行っていたが、

霞ヶ浦の水辺や流入河川、水路などの水辺までは行われていなかった。

 

どれほど長い間、水辺のゴミ拾いは行われていなかったのか?

水辺のゴミを見る度に悲しい現実に直面する。

行政の無能さを嘆き、人民の心に潜む無知を悲しみ、

流域住民の心の貧しさを哀れんだ。

 

が、立ち止まることはできない。

水は地球の命の根源である。

この水を守るために、俺たちはこれからもゴミを拾い続ける。

バスフィッシングが続けられ、この国で楽しめる限り・・・。

 

考えてみれば、バスフィッシングもロングジャーニーだよな。

50年近くも続けているが、まだ辿り着けないんだから・・・。笑

 

 

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