罵州雑言

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その124 本山博之のこと


 

さぁ、今日から11月だ。

 

前回、昭和の話をしたばかりだったのに、昭和の星がまた一つ消えた。

W.B.S.の創設当初から関わってくれていた本山博之が、先週他界した。

 

W.B.S.を立ち上げるよ。

そう告げると、土浦新港を借りるにあたって、

建築関係に詳しい本山が動いてくれた。

借り受ける広さや図面、書類などは本山が作ってくれた。

そして1990年にW.B.S.がスタートした。

 

当時の土浦新港は酷い荒廃ぶりで、ゴミのたまり場だった。

また、犬の糞はもとより人糞までもが散乱していた。

いったい誰が???

ヘラ釣りやコイ釣り、ワカサギ釣りの人だと思われたが、

定かではなかった。

 

で、彼等が水辺にゴミを置いて行かないようにと、

本山と相談して手始めにゴミ箱を設置した。

土浦市にも定期的な回収をお願いした。

しかし、これが失敗だった。

家庭ゴミが持ち込まれてしまったからだ。

高速道路のサービスエリアのゴミ箱と同じだった。

日本人のマナーのなさが露呈したのである。

 

余りにも酷いゴミに業を煮やして、

1995226日(日)、W.B.S.の有志が土浦新港に集まって、

バスアングラーによるゴミ拾いがスタートした。

これが第一回目の霞ヶ浦クリーン大作戦である。

その後、佐藤健の提案で年二回開催するようになり、

53 Pick Up!」の名称が被せられた。

 

しかし、釣り人による清掃活動では、

好きでやっている・・・ぐらいの感じで、

拾い集めたゴミの処理をどこも受け付けてくれなかった。

そこで、ゴミ拾いの参加者から参加費を集めてゴミ処理費に充当した。

参加費は一人が千円で、産廃処理業者は本山が探してくれた。

金だけとってゴミを拾う・・・これでは申し訳ないと、

W.B.S.メンバーの岡田オジさんが牛丼を作って参加者に配膳した。

 

あれから霞ヶ浦の「53 Pick Up!」は23年間も続いている。

しかし、本山は途中から裏磐梯四湖での清掃活動をスタートさせた。

が、途中で頓挫してしまった。

釣り業界のバックアップが足りなかったのだろう・・・恐らくは。

 

その後、本山は福島県に拠点を構えて、

スモールマウスやワカサギ、渓流釣りに精力的に取り組むようになり、

霞ヶ浦の俺たちとは徐々に疎遠になってしまった。

 

今思い返すと、W.B.S.の時折々の案件や事項でキーになってくれた。

土浦市や市民団体と親密になれたのも、本山の存在が大きい。

そして、何よりも身体を動かすのが好きだったなぁ。

骨身を惜しまず・・・と言うのは彼のことだろうなぁ。

本山博之の訃報にふれ、そんなことを思い出していた。

 

60歳・・・まだ60歳、もう60歳。

俺は60歳からは余禄の命だと思っている。

これは俺の考えなので、他の人に当てはまらないだろう。

でもね、好きなことをして好きな場所で死ねるってぇのは羨ましい。

俺も出来ることなら霞ヶ浦のBSBで釣りをしながら息を引き取りてぇなぁ。

 

沖に修弥が浮いていて、傍らで昭男が波をかぶってびしょ濡れになって、

目の前をカンムリカイツブリが魚を追いかけている。

そんな場所で静かに逝きたいなぁ。

 

今年は釣り仲間の訃報が続く・・・ちょいと淋しい。

最後に、あの世でも本山博之が釣りバカでありますように!

合掌。

 

 

 

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