罵州雑言

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その008 余力と余禄


 

霞ヶ浦に長年住んでいると、様々な事象を見ることが出来る。

それは東京に住んでいるときには体験できないことだ。

この地に移住してかれこれ25年以上、四半世紀である。

41歳の時に東京を引き払ってこの地に移住したのは、

子どもの養育もあったが、その大部分は魚釣りをするためだった。

まぁ、俺の我が儘のために家族がついて来てくれたてぇことだ。

 

そんな釣りバカな俺が環境に意識を向けるようになった一番の理由は、

霞ヶ浦のゴミが半端なかったからである。

バスフィッシングのお陰で日本各地の湖沼を釣り歩いたが、

これほどゴミの酷いところはなかった。

 

W.B.S.がスタートした当時の土浦新港には、いたるところにゴミがあって、

オマケに野糞までもが大量にあった。

さらに、ボートで釣りに出ると、水面に浮かんでいるゴミの量は、

これまたひっくり返るほどの大量だった。

 

こりゃ、イカン! てぇことでW.B.S.の選手を集めて清掃活動を始めた。

1995年2月25日、霞ヶ浦クリーン大作戦がスタートしたのである。

その後、選手の要望で年に二回、清掃活動を開催することになった。

名称を霞ヶ浦クリーン大作戦「53 Pick Up!」に改めた。

また、2005年にNPO水辺基盤協会が茨城県に認証され、

その後はNPO水辺基盤協会が「53 Pick Up!」を開催運営している。

 

と、まぁ、この様に釣り人による釣り人の清掃活動は推移して来たのだが、

毎年の台風や豪雨による出水の度に人間の力の無さを実感する。

ゴミを拾ってきれいにした場所が、たった一度の出水で元の木阿弥になる。

悲しいけれどこれが現実だ。

先日の清掃活動のときに、モッチーも嘆いていた。

 

 

 

 

でもね、悲しんじゃいられない。

出水によるゴミの漂着はそれらが湖内にあったって証拠だからだ。

あれほどきれいにしたのに・・・実は回収し切れていなかったのだ。

目の届かない場所にはまだまだ大量にゴミがあるてぇことだよ。

目の前のゴミが無くなっても、安心しちゃいけねぇってことだぜっ。

 

 

 

出水できれいさっぱり流された・・・と思っても、

溜まっている場所にはたんまりのゴミがあるし、必ずどこかに流れて行くんだ。

ゴミが霧消することは決してない。拡散するだけのこと・・・。

 

 

 

これらのゴミがもし金になるのなら、俺らはとてつもない大金持ちだなぁ。

そう言って、笑いながら湖岸のゴミを拾っている俺たちは変態かもしれない。

だがね、出水の度に、或いは風向きによってゴミの溜まる場所が判ると、

その年の、さらには次の年の魚たちの動向が、多少なりとも判断できるてぇこともある。

こう考えることの出来るのが釣り人の余力だな。

 

ゴミはただ流れて行くのではなく、

流れや風向きによって漂着する場所がある程度決まっているんだな。

だから、防塵挺身隊の面々は、ゴミを拾いながら夢想するんだ。

このゴミが流れ着いたのだから、

この場所のアウト側は削られているよな・・・なんてね。

これが釣り人ならではの、ゴミ拾いによる余禄である。

余禄に与かる余力を持った釣り人になろうぜ。

 

追伸。

さすがに先日の三連チャンが効いている。

今週は月曜日から死に体である。

が、酷使した右手は相当に上がるようになってきた。

頑張れ、俺!

 

 

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