自然環境の問題が浮上すると、すぐに経済を非難する人がいるけれど、
多くの人間は経済が動かないと暮らしていけないのも現実である。
生活の基盤になる何かがあって、
自分の生活基盤に影響のないものをアレコレ中傷しているように見えるのは、
俺の目が濁っているからか?
いや、はや、困っている。
俺の中で矛と盾がグルグル回りつつ争っているからだ。
楽しい魚釣りがしたいから、懸命になって霞ヶ浦のゴミを拾っている。
しかし、ゴミを拾うことによって行政に負担を掛けているのは事実だ。
ゴミが散乱していようと、知らん振りをしていれば、
行政は俺たちが集めたゴミを処分する必要がないので、
余分な出費をすることがない。
が、霞ヶ浦のゴミをそのままにしたら、
魚たちから健康を奪うことになる。
やがて、魚たちが棲まない霞ヶ浦になってしまう。
すると、霞ヶ浦は魚釣りが楽しめないただの水溜りになる。
それも毒水の貯水池だ。
そんな毒水の貯水池にしたくないからゴミを拾っている。
空き缶、ペットボトル、タイヤ、家電製品、空き瓶、家庭用品、
農薬の容器、衣料品、家具、医療器具などなど、
ゴミの全ては人間が排出した物である。
自然界には存在しないゴミである。
経済社会が生み出した産業品の数々である。
つまり、霞ヶ浦に散乱しているゴミは、
人間社会が生み出して使い終えたカスである。
ゴミを拾う度に思うよ。
手に持った一つひとつを見つめて思うよ。
環境論者の皆さんも、ゴミ拾いにらっしゃいよ。
外来魚圧で在来魚が減っている・・・・・・なんてぇことを白々しく言う前に、
人間が排出した外来塵芥圧で霞ヶ浦の動植物は、
在来種も外来種も分け隔てなく減少している事実を知ることになるよ。
経済に相反する環境論者も経済社会の中で暮らしている。
経済社会の一員なのである。
そう、貴方も俺も金銭で物を買い、やがてゴミを排出する一人なのである。
