茨城県に移り住んでかれこれ20数年が経過した。
さて、俺がこの地に移り住んだ一番の原因は、
その当時のW.B.S.は所在地が東京大塚であったために、
霞ヶ浦では外様にもなれない部外者、時折訪れる外来種だったからだ。
西を向いても東も見ても、
茨城県の人たちには受け入れてもらえなかったのである。
どこから来たんだい?
と訊ねられても「東京ですよ」と言うと、
そこで話が終わってしまうほど相手にされなかった。
ああ、遊びに来ているんか・・・・・・的な考えだったと思う。
そんな状況だから何をするにも窮屈だった。
で、もし俺がこの地の人間だったら・・・・・・と考えるようになった。
で、W.B.S.の本拠地を茨城県に移し、
俺が阿見町に住むようになると状況は一変した。
なんたって、清き一票、いやカミさんと二人だから二票だな。
これが政治家に効いた。
さらに、霞ヶ浦に係る人たちと交流するようになっても、
阿見町の住民であることを告げると同郷の親しみを持ってくれた。
俺の移住はW.B.S.的に言うと成功だったのである。
移住の原因のもう一つに、東京に対する魅力の低下があった。
生まれ育った場所ではあるのだが、
俺が育った頃よりは格段に住み辛い町になっていた。
居住する魅力が半減していたのである。
それは子どもを育てる条件に於いて顕著だった。
安心して遊べる場所がないのである。
道路にはひっきりなしに車が走り、
近所の公園には浮浪者が住み着き、隣近所とも交流がなく・・・・・・
と上げれば枚挙に暇がないほどの不満が噴出した。
41歳のとき、思い立って茨城県に移住した。
東京の魅力の半減が大きな原因の一つでもあった。
今、日本の魅力が失われつつある。
住みたい国とは思えない状況が構築されつつある。
子どもたちの愛国心を育むべき世代の俺ではあるが、
我が子に今の日本の魅力を説くほどの材料がないのだ。
だから、せめても俺が夢中になって、
その魅力の絶えることのないバスフィッシングを、
次の世代に伝えていこうと思う。
俺たちに夢と希望を与えてくれたバスフィッシングを、
心底惚れ込むほど魅力あるバス釣りを守って行きたいのである。
東京で失われた魅力が、茨城県の霞ヶ浦で再生した。
しかし、今の日本現状を見ているとまた魅力を失いそうである。
が、バスフィッシングの魅力だけは不変である。
俺はこの不変の魅力に賭けようと思う。
さて、今年もあと二日、来年も良い年でありますように!


