■9月11日 


トーナメントの記事がオクラホマ戦、そしてケンタッキー戦と
キャッチアップされていないが、現在はニューヨーク州に来ている。



ニューヨークというと、
一生忘れられない出来事が2001年9月11日に起きた。
そう、ワールドトレーディングセンターやワシントンDCのペンタゴンに、
アルカイダのテロ行為によって旅客機が墜落し、
多くの犠牲者を出す大惨事となった、あの事件だ。

記憶に残っている方もいるかも知れないが、
この翌週にニューヨーク州ハドソン・リバー戦が予定されていた。
当時は一週間のオフリミット制があり、
ニューヨークの知人の家を訪れていた。

そのオフリミットを利用して、
釣り三昧の毎日から離れニューヨークトリップを楽しみにしていた。
ツアーに昇格したら必ずニューヨーク周辺の試合が組み込まれるから、
そうしたら世界の大都市ニューヨークを見に行こう!
と妻と前々から約束していた。

その約束を果たせる日、やっと訪れたその日こそが、
問題の2001年9月11日である。
妻と昼ごはんをダウンタウンに食べに行き、
その後、観光がてらワールドトレーディングセンター(WTC)に
訪れる予定を組んでいた。

朝起きて数時間して、お世話になっていたジェイ(NYPD勤務)が、
「ユースケ、テレビを見てみろ! WTCが大変な事になっているぞ」。
爆弾テロかも知れない・・・と朝のニュースで言っていたが、
その後二機目の飛行機がWTCに直撃する映像がライブで流れ、
唖然とした。

もしそのテロ行為が5〜6時間遅れていたら、
私達も惨劇のテロに直面していたことであろう。
その後、三日間ジェイの家で待機していたが、
ハドソン・リバー戦は中止になり、
ダウンタウンには立ち入りができなくなった。
当然、観光などできる雰囲気はないし、
そんな気が起きるはずも無かった。

トーナメント中止のアナウンスの翌日、
テキサスに向けてニューヨークを後にしたのだが、
フリーウェイから遠目に見えたWTCからは、まだ煙が立ち昇っていた。
そして、自由の女神が小さいながらも見えたのが、
ニューヨークの思い出である。



そんな事態から5年が経過して、
またこの地にトーナメントを絡めて訪れる機会を得た。
当時は妻との二人旅であったが、
今では二人のキッズが増えて賑やかな4人家族の旅となった。

ボートをニューヨーク郊外のタックルショップに預かってもらい、
ダウンタウンから少し離れたホテルに宿をとった。
ダウンタウンの道路事情は大阪人も真っ青なぐらいで、
交通ルールはあって無いような状況にビックリ。

二重駐車は当たり前、無理な車線から曲がったりUターンしたり。
町行く人の波にも当然ついて行けない。
テキサス暮らしが長くなったせいか、
東京育ちの自分もすっかり田舎のねずみになっていた。

チャイナタウンは、ここは中国かなと間違えるぐらい大きく、
小さなお店が所狭しと並んでいた。
妻はブロードウェーやショッピングに行きたかったようだが、
子供が小さいこともあっ渋々諦め顔。
その代わりにセントラルパークを訪れた。
ダウンタウンの中にあれほど大きな公園があるだけでも驚きであるが、
しっかり管理されていて色々な施設が整っていた。
夜は知らないけど・・・・・・。

セントラルパークでは、子供達二人が水遊びして喜んでいる姿を見て、
休みをとってよかったと心から思った。
ちなみにセントラルパークでもバスが釣れるみたいだが、
さすがにトライはしなかった。



あとは観光船に乗って自由の女神を水上から見たぐらいであった。
その帰り、たまたまWTC跡地の脇を通過すると、
フェンスで囲まれポリスが数台監視しており、
その隙間から穴が掘られていたのがチラッと見えた。

数日間のNY滞在であったが、
毎日「ミツワ」という日本のスーパーマーケットに行き、
そこのフードコーナーで安く日本食を食べていた。
勿論、お米やアジの開き、納豆、お新香などの日本食を買いだめした。
大森プロに電話したところ、
納豆とうなぎを買っておいてとオーダーがあった。
こうして楽しい時間はアッという間に過ぎていった。



ホットドッグやプレッツェルなどを売るスタンドが至る所にあるのも有名。