■Seattle(シアトル) オープンチャンピオンシップも終わり、 家族で第二の故郷ワシントン州シアトルに里帰りした。 シアトルは自分にとって、日本と同様に大切な場所である。 約8年間をシアトルで過ごし、日米多くの友人が住み、 ホームレイクであるレイクワシントンがあり、 バスフィッシングの多くをここで学んだ。 親友である青木健治とブライアン・ヘンダーソンが 色々とシアトル行きを助けてくれた。 健治がコンドミニアムを買ったので、 空いている一部屋を貸してくれ、 車はブライアンがミニバンから子供のオモチャに至るまでを 快く貸与してくれた。 大学を卒業して就職した日系企業では、 社会についてや商売とは何かなど、 沢山の事柄を上司の方々からお教え頂いた。 これが釣りに生かされることも実は多い。 メーカーとのやり取りや、一社会人としてルーティンワークも意外と多い。 オフシーズンであっても、毎日決められた時間に起きて 予定している釣りのプラクティスや作業をこなし、 無駄を無くしたいと常日頃から考えている。 シアトル滞在時には石川様を始めとし、 お忙しい中、多くの方々が食事会を開いてくれたことが大変嬉しく、 心から感謝しております。 さてシアトルでは友人ブライアンとジムに誘われて、 数回レイクワシントンにボートを浮かべた。 アメリカ合衆国・北西に位置するだけあり、 テキサスより寒いのは当然である。 冬場に雨季があり毎日しとしとと霧雨が降ることが多いのだが、 大半は晴天に恵まれ、見慣れていた美しい景色が目に飛び込む。 「うぁー、帰ってきたなー」 とレイクワシントンから見る風景に心が躍った。 真っ先に向かったのは、ディープフラットにあるストラクチャーで 水深は約35フィート、狙うはビッグスモールマウスである。 昔は山立てで一発で入れたのに、少々苦労してやっとマーカーを落とした。 ジムのファーストキャストに何と6ポンドオーバーの 見事なブロンズバックがバイトし、 ジムは満面の笑みで魚を掲げていた。 自分はというと、自慢できるようなサイズには恵まれなかったが、 ビッグトラウトやパーチを釣り本当に楽しい時間を過ごした。 ジムはこの6ポンドオーバーのスモールを剥製にしたかったらしく、 ライブウェルにキープしながら悩んでいた。 それほど迫力のある魚体であったが、 釣行終了間際に思い直しリリース。 これで良かったんだと自分に言い聞かせていたジムは誇らしげであった。 ![]() ジムを最後まで悩ませた見事な魚体の6パウンダー。 また釣ったパーチは数匹を持ち帰り、 フライにしてブライアン家族と共に食したりもした。 これがシアトルの地ビールと相性も抜群で、話も弾んだ。 ![]() 食べる分だけ、それ以上の殺生はしない。持ち帰り用のイエローパーチ。 その他には、よく海釣りをしていた エドモンズ・フィッシングピアに出向いて行ったり、 日本食のスーパーや紀伊国屋に行ったりした。 シアトルは魚介類が豊富で滞在時の食生活は テキサスにいる時と雲泥の差である。 残念だったのは、タイドが合わなくてシーズン真っ只中の牡蛎拾いと、 イカ釣りに行けなかったことである。 昔はそれでも日本に帰ってあれこれ食べたいとか感じていたが、 今はシアトルでも日本と変わらないぐらいに思えるほど、 ここレイクフォークの周りには日本食などという文字は全く無く、 シアトルが素晴らしく映った。 ![]() セミナーでは様々な質問が飛び交った。 楽しい時間はあっという間に過ぎていくもので、 二週間弱のシアトル在住も終わり、 バスと牛の都・テキサスへと帰ることになった。 手荷物には日本食スーパーで買った乾物や、 生鮮のエキスパート健治がくれたイクラと数の子を持って 飛行機に乗り込んだ。 さあ充電完了。ツアーに向けて頑張るぞ。 |