霞ヶ浦の概要&生い立ち
第2章 霞ヶ浦を知る
第5話 利根川東遷

シ:『いままでの自然を変えてしまったから
  思いもよらない事態を経験しているんだ』。
  って、先週言ってたけれど、思いもよらないことってな〜に?

H:おっ! 忘れてなかったんだ。
  でもその前にどうしてそんな大掛かりな事業が行われたのか、
  知りたくない?

シ:え〜〜〜っ! 僕は普通のトンボなんだけど〜。

H:ウンチクトンボっていうのも、最近モテるらしいよ。

シ:Hiro〜! それを早く言ってくれなきゃ〜。


江戸時代の初頭(1594年)から60年もの歳月をかけて行われた
利根川東遷事業の目的は、
1:当時主流であった舟運交通、輸送体系の確立。
2:新田開発。
3:江戸の町を利根川の水害から守る。
とされている。

これにより江戸に流れ込んでいた利根川と赤堀川を開削し、
常陸川と多くの川、湖沼を結びつけて銚子に流れを変えた。
そして、日本最大の流域面積を誇る河川が誕生したことによって、
江戸の流通が安全かつ盛んに行われるようになった。
それは、江戸時代発展に大きく貢献した。

しかし、東遷事業以前から霞ヶ浦周辺は、
低湿地のため洪水に見舞われていたが、
この事業によりいっそう洪水に襲われるようになったといわれている。
そのため水害から住民や経済を守るために、
昭和に至るまで開削や河川の改修工事が続けられた。

ちなみに江戸時代から平成3年10月まで、
大きな洪水の数は50回を超えている。


参考資料:利根川Tone Riverより

H:あれっ? シオカラ君、居眠りしないで聞いていたと思ったら
  何だか顔が締まってきたんじゃない?

シ:だってモテるんでしょ、ウンチクって!

H:そ、そ、そうだね・・・きっと霞ヶ浦流域で、
  人気者になると思うよ。

シ:じゃ〜、もっと霞ヶ浦のこと教えてくれなきゃ〜。

H:では続きはまた来週!



Hiro's profile

W.B.S.プロ。
霞の風雲児を目指して早10年。
あの山田塾の司令塔的存在で
無類の釣り好き。
アメリカ事情にも精通している。 
右投げ右打ち。


舟子のシオカラトンボ profile

霞ヶ浦の畔に住んで早4年?
食事をするとすぐ寝てしまう癖がある。
風の吹くまま気の向くまま霞ヶ浦を飛び回る。
近眼、メガネ使用。