霞ヶ浦の概要&生い立ち
第2章 霞ヶ浦を知る
第4話 霞ヶ浦の概要&生い立ち H:さて、今回からは霞ヶ浦についてもっと勉強していくよ。 シ:ポカポカ陽気で昼寝には最高の時期なんだけどな〜。 H:・・・。「へぇ〜」って思うだけでいいんだけどどう? シ:あれっそうなの? 反省会とかもないよね〜? H:ここは山●塾じゃないから大丈夫。 H:まずは、霞ヶ浦・北浦に流れ込んでいる川はいくつあると思う? シ:〜ん、20河川くらいかな? H:はい、はずれ〜! では、答えましょう。 霞ヶ浦は西浦、北浦、外浪逆浦と常陸利根川を合わせた 水系からなり、それらには桜川を始めとする大小56河川が流入している。 その概要は、 ●湖面積 約220キロ平方メートル (西浦172キロ・、北浦36キロ・、常陸利根川他12キロ・) ●湖岸線 約252km (西浦122km、北浦75km、常陸利根川他55km) ●湖容積 約8.5億立米 ●水深 最大約7m、平均4m(現在までの浚渫事業による変化は大) ●湖成因 海跡湖 ●流域面積 2.157キロ・(茨城県総面積の1/3) ●流域人口 約96万人(42市町村) とされており、琵琶湖に次ぐ国内第2位の大きさである。 その始まりは約6000年前の縄文時代までさかのぼり、 大地の間に海水が進入して入り江が出来たとされている。 奈良時代の「常陸国風土記」では霞ヶ浦一帯を 「流海:ながれうみ」と呼び その後鬼怒川や小貝川などの大河川からの土砂が堆積し 入り江をせき止め、現在の霞ヶ浦の形に近づいた。 江戸時代に入ると治水と新田開発促進、舟輸送体系の確立を目的に 利根川の東遷事業が行われ、東京湾に注いでいた利根川が 現在の流れに変えられた。 それ以降も干拓事業が盛んに行われた結果、 現在の霞ヶ浦の地形になった。 ![]() 参考資料:利根川Tone Riverより H:このくらいなら居眠りしないだろ? シ:う〜んなんとか平気だったかなぁ・・・zzz。 川の流れを変えちゃうなんてあの家康さんもなかなかやるね〜。 H:でもいままでの自然を変えてしまったから思いもよらない 事態を経験しているんだ。 シ:それってなに〜。 H:おっ! 食いついたな。では、続きは次週で! Hiro's profile ![]() W.B.S.プロ。 霞の風雲児を目指して早10年。 あの山田塾の司令塔的存在で 無類の釣り好き。 アメリカ事情にも精通している。 右投げ右打ち。 ![]() 霞ヶ浦の畔に住んで早4年? 食事をするとすぐ寝てしまう癖がある。 風の吹くまま気の向くまま霞ヶ浦を飛び回る。 近眼、メガネ使用。 |