罵州雑言

罵州雑言

その263 あれから42年!


 

 

1972年頃だったか、ルアーフィッシングを始めて間もない頃に、

東京タックルボックスアソシエーション(TTBA)と言うクラブを作った。

学生時代の同級生や後輩を無理矢理に誘った。

月に一度の釣り会を催し、各地の湖で釣りをした。

当時は3月から5月まではトラウトで、

6月から9月までがバス、

10月からは再びトラウト狙い(禁漁期なので管理釣り場)の釣り会だった。

 

数年後、TTBAではバス狙いの釣り会が多く催されるようになった。

河口湖を始めとした富士五湖や、

日本のあちこちでブラックバスが釣れるようになったからだ。

1979年、BASS of Japanが創設されて

Eastern Bassmaster Clubを前任者から引き継いだ。

 

1982年から絵日記をつけ始める。

その絵日記を紐解いていくと・・・・・・時代の流れ、

バスフィッシングの変化が手に取るように判る。

 

 

263diary

 

1983年にはJBTA(現JB)がスタートした。

1984年にはティムコとの契約がスタートした。

俺がJBTAに参戦したのは確か1985年からだった。

この年、林圭一がJBTAのファイナルトーナメントでチャンピオンになった。

翌年からBASS of JapanとJBTAの両トーナメントに出場すると、

BASS of Japanから爪弾きにされたのでBASS of Japanを退会したが、

米国のBASSのメンバーは継続していた。

 

日本での活動に嫌気がさし、

1987年にBASSのメガバックストーナメントに参戦する。

これが大きな刺激だった。

その年の5月、第一回Basser Allstar Classicが芦ノ湖で開催された。

また、霞ヶ浦を土俵にした水郷オープンや、

釣り雑誌Tackle Boxのオープン戦、

その他の様々なトーナメントにも参戦するようになった。

9月、少年チャンピオンでバスハンター渡の連載が始まった。

この後、メガバックスには88年と89年にも参戦した。

 

1989年12月、W.B.S.のプレトーナメントが開催された。

1990年、W.B.S.が本格的にスタートした。

この年からスミスとの契約を交わした。

で、俺の絵日記は1992年で終了している。

 

そうかぁ~、10年間も書いていたんだなぁ。

古き良き時代のバスフィッシングを記憶にとどめるには、

そして自分の歩いて生きた人生を振り返るにも絵日記は良いなぁ。

絵日記が終了した1992年と言うと、22年前である。

 

嗚呼、あれからそんなにも経過したのだね。

で、俺がバスフィッシングをスタートしてから

42年が経過しようとしているが、

未だにバスフィッシングが新鮮なのは、

俺の未熟さか、それともバスフィッシングの奥深さか?

謎は深まる。ああ、バスが釣りたい!

 

 

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